「まことの礼拝」
2015.1.25. 礼 拝
ヨハネ 4:23-24(P169) 「まことの礼拝」
サマリアの女が霊的に飢え渇いているのを知っておられたイエスは、彼女の飢え渇きを潤し、満たすためにわざわざサマリアを通られた〈4〉。彼女が、罪と霊的問題を解決するために、神との正しい関係を回復する事と、どのような礼拝が神に受け入れていただけるかを知る必要があったからです。
ユダヤ人はエルサレムに、サマリア人はゲルジム山に神殿を建て、そこをアブラハムが約束の地に入って祭壇を築いた場所だと互いに主張していました〈20〉。この事がユダヤ人とサマリア人との仲違(なかたが)いの理由の一つです。彼女は「わたしども」と「あなたがた」とを区別し、ユダヤ人は礼拝する場所を間違えていると非難したのです。
〈21〉でイエスは、彼女の誤りを正し、正しい信仰、礼拝へと導こうとされたのです。
イエスは、場所は問題ではない。今はもっと大切な時〈21〉、神がご自分の父であり、すべての神の民の父だから、この方にまことの礼拝をすべき時だと教えられました〈23〉。また、「あなた方は知らないものを礼拝しているが、私たちは知っているものを礼拝している。なぜなら、神の救いの計画はユダヤ人を通して成就するからだと教えられました〈22〉。
① まことの礼拝をする新しい時が来ている〈21〉。今がその時である〈23〉。
② まことの礼拝は、生きた水である聖霊と〈7:38〉、真理であるイエス〈14:6〉とによってささげるもので、父はそんな礼拝をささげる人を求めておられる〈23〉。
③ そんな礼拝はをささげる理由は、神が霊であるからであり〈24〉、また、聖霊は命を与えるものだからです〈6:63〉。
礼拝の中心は三位一体の神です。だから心を尽くして礼拝することはもちろんですが、聖霊とみことばに燃やされて、生き生きとした神に喜ばれる礼拝をささげましょう。
[お祈り] 天の父なる神様、御名を崇めます。どうかこの僕が全身全霊をもってまことの礼拝をささげることができますよう整えてください。イエスの御名で。アーメン