「まことの礼拝」

2021.2.14.     礼 拝   

 

民数記7:87-89(P225)     「まことの礼拝」

 

礼拝とは献身 〈7:10-11〉

▽〈創22〉で、アブラハムが神の言葉に従順して、モリヤの山で独り子イサクを「焼き尽くす献げ物」として、ささげようとした時、従者に「私と息子はあそこに行って、礼拝をして、また、戻ってくる」と言った。礼拝は献身なのです。

▽イスラエルの献げ物には、それぞれ意味があり、イエスの十字架によって完成した。

①焼き尽くす献げ物〈15〉いけにえをすべて灰にするもので、全き献身を示す。

・主のみことばに従順し、御子の血によって買い戻された自分は神のものと告白。

「へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」〈フィ2:8〉。

②贖罪の献げ物〈16〉動物の死を見、罪の代価の恐ろしさを自覚するもの。

・イエスの十字架を見上げ、罪の代価はイエスにしか払えないことを自覚するもの。

「御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます」〈Ⅰヨハ1:7〉。

③和解の献げ物〈17〉神と人との和解を体験させる献げ物です。

・ささげた後、それを分け合って食べ、罪赦された共同体として一つになること。

「神はキリストによって世を御自分と和解させ」〈Ⅱコリ5:19〉。

 

礼拝の中心はみことば 〈7:89〉 

▽自己中心を捨て、神中心に生きることが献身です。神中心に生きるためには愛の神の御心を知ることが必要です。そのためにはみことばを聞くことが必要です。

▽全イスラエルのいけにえをささげる礼拝が終った後〈10-83〉、モーセは祈るために「会見(臨在)の幕屋」に入ると、「契約の箱」を覆うケルビムの間から、語る御声を聞きました。神が語る時は、沈黙して聴くべきです。

イエスはくり返し「聞く耳のあるものは聴くがよい」と言われました。私たちは少年サムエルのように「主よ、お話しください。僕は聞いております」と告白しましょう。〈サム上3:9〉