「たといそうでなくても」

2012.10.28.        礼  拝

 

ダニエル3:16-18(P1384)  「たといそうでなくても」

 

Ⅰ.信仰の決断

〈17〉の直訳:「見よ。私たちは持っている。私たちが仕える神が私たちを救うことができるのを。」 ・「私たち」は、3人の信仰が一つであること。

・「お仕えする神」は、3人が共に常に仕えている神の側に立っていること。

・「必ず」「救う」=(2回)は、3人共神が救ってくださると確信していること。

主を全く信頼しているからこそ、命がけで、王の命令に背く決断ができた〈16〉

 

Ⅱ.たといそうでなくても

〈18〉の告白:神の御心に背く王の命令には従わないという宣言。

・神の御心なら死をも受け入れるという信仰告白。

▽ 彼らは、天地の主であり、不可能を可能に変える神にすべてを委ねた。金の像(死んだ神)が、自分が仕える神(生ける神)か、の二者択一です。

▽ 彼らは王の命令ではなく、神に背くことを畏れた。(マタイ10:28)

生ける真の神の側に立つなら、何も恐れるものはない。(ローマ8:31-32)

 

Ⅲ.みことばに真実な神

▽ 王は激しく怒って、彼らを縛り、燃え盛る炉の中に投げ込んだ〈19,20〉。

▽ その時驚くべきことが起こった〈25〉。3人は全く自由に歩いている。3人のはずが4人いる。4人目は神の子。インマヌエルの神

・主はたとい火の中を通ったとしても、彼らと共に歩み守られた〈27〉。(詩編66:12)

▽ 彼らは「たといそうでなくても」と信仰告白したが、主は彼らの信仰以上のことをなされ、ご自身の栄光を現わされた〈28-30〉。

主は私たちの求めた以上の答えをくださる方です。(エフェソ3:20)