「試練の目的」

2014.10.12.       礼 拝

 

ヨブ 19:25(P800)          「試練の目的」

 

19章はヨブ記の分水嶺です。ヨブはイエス・キリストを知りません。しかし、ヨブはすべてを失い、妻にも見捨てられ、病と戦う耐え難き苦難と3人の友の批難の中で、霊の目が開かれ、神だけが自分を贖うことができると悟り、「私を贖う方は神だけであり、その方は生きておられる」と確信しています〈25〉。

主が試練を与える目的は私たちが贖い主と出会い、心から(詩119:71)と告白できるようになるためです。

 

ヨブもやがて死に、体は土に帰ります。しかし、私を贖ってくださる方が人となって必ずこの地に宿ってくださると確信し〈25〉、この目で仰ぎ見ると告白します〈26,27〉。ヨブは妻に裏切られ、3人の友に苦しめられ、人は頼りにならないと悟りました。そんな中で自分の生まれた日を呪いながらも〈3:1〉、主に望みを託しています〈27〉。

主が試練を与える目的は、私たちが苦難を通して、自分と人とに頼ることをやめて、神が人となられた贖い主イエスをはっきり見させるためです。(Ⅰペト1:6-9)

 

ヨブは生きている間に贖い主イエスを見ることはありませんでしたが、たとえ体は朽ち果てても、必ず復活し、贖い主を仰ぎ見ることができると告白します〈26〉。ヨブの現状では、この世に何の希望もありません。だからこそ、復活信仰に立つことによって、生かされている希望を見出し、このように告白しているのです〈25〉。

主が試練を与える目的は、私たちが試練を通して、キリストの復活を信じ、自分の復活とキリストの再臨を待ち望む信仰に立つためです。(フィリ3:10,11) 

 

[お祈り] 天の父なる神様の御名を賛美します。僕が贖い主としてこの世に来られ、十字架に死んで、復活された生ける神から目を離すことがありませんように、お守り下さい。主イエスの御名によってお祈りします。アーメン。