「福音と癒し」

2016.7.24.       礼 拝

 

Ⅱコリント 12:7-9(P339)      「福音と癒し」

 

神は癒し主 ―「三度主に願いました」〈8〉

▽神は癒し主です。「わたしはあなたを癒す主である」〈出エ15:26〉。「彼の受けた傷によって、わたしたちは癒された」〈イザ53:5〉。〈Ⅰペト2:24〉。

▽イエスご自身も、また、預言者や使徒たちも癒しの業を行っています。

▽「信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます」〈ヤコ5:15〉。だから、信仰によって癒しのために祈ります〈同5:14〉。

 

福音と癒しの混同

▽しかし、祈ったからといってすべての人が癒されるのではありません。癒されない人も沢山います。パウロも〈9〉。家内も。2800人以上看取った小澤師。

▽必死で祈ったのに癒されないのは、「自分の信仰が足りないから」だ、とすると、病の重荷に加え、不信仰の罪に責められる、より苦しい生活になります。

▽それは福音と癒しを混同しているからで。福音=癒しではないのです。

 

福音と癒しの違い ―「わたしの恵みはあなたに対して十分である」〈9〉

▽福音とは、罪が赦されて、三位一体の神との喜びの交わりが回復させられることを伝えることです。それは人格的なもので、霊魂に関わるものです。

▽癒しとは、人間の物質的部分の癒しであって、肉体に関わるものです。福音は人格の癒しが第一で、肉体の癒しは第二です。癒しはその逆です。

▽人として「完全な健康な人」であったイエスが、私たちが全人的に健康であるために、惜し気もなくそれを与えてくださいました。福音は健康も病も超越します。

▽肉体は罪の故に限りあるものとなり、やがて失せるものです。しかし、主にあって命と健康が保たれているのは、私たちに果すべき使命があるからです〈ロマ1:14-15〉。