「神の眼差し」

2024.6.2.     礼 拝

 

創世記22:1-14(P31)     「神の眼差し」

 

私たちの人生には、様々な出来事が起こります。それらの出来事は、決して偶然ではなく、主が与えた時なのです。アブラハムは、失敗の歩みの中で信仰の人となっていきました。そんな彼のそばには、いつも主が共にいてくださり、導き続けてくださったのです。

1.試みる

アブラハムは、数多くの試練に遭いました。主によってなされたことであり、彼が主に従う者として成長するために必要だったのです。ただ、彼は、たくさんの失敗をし、落第者とも言えるような状況でした。主は、そんな彼を見捨てることはなく、確実に成長へと導いてくださいました。主は、それぞれのペースに合わせて成長させてくださいます。

2.備える

この時、アブラハムが受けた試練は、イサクをささげるという最も過酷な試練でした。しかし、翌朝早く、主が言われた通りに出かけていくのです。そこには、「焼き尽くす献げ物の子羊はきっと神が備えてくださる」〈8〉という信仰がありました。主に信頼し、従っていく時、主は応えてくださいます。全てを委ね、一歩を踏み出しましょう。

3.見続ける

主は、試みる者であり、備える者です。相反するような二つの姿の中で変わらないことが一つあります。どんな時にも主はアブラハムを見ておられたということです。試練は、私たちに孤独を感じさせるものです。けれども、その背後には、主の守りと備えがあったのです。あなたがどこにいたとしても、神の眼差しは、あなたに向けられています。

主は、いつも私たちに目を留めてくださいます。あなたの状況を知り、困った時には、必要な助けがすでに備えられているのです。主に従う者としてさらに整えられていきましょう。