「弁護者イエス」

2021.3.21.     礼 拝   

 

Ⅰヨハネ2:1-2(P441)     「弁護者イエス」

 

罪に対する敗北者

▽〈1〉ヨハネは「あなたがたが罪を犯さないようになるため」と言っていますが、〈ロマ3:23〉には「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっている」と。

▽パウロは「私は、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするから」。「私はなんと惨めな人間」かと。

▽私たちは、自分を正面から見つめる時、自分が罪に対して敗北者であることに気づきます。そして、この気づきは、クリスチャンとして、正しい自覚です。

 

サタンの妨げ

▽このことが分からなければ、十字架の意味も救いの意味も分かりません。そして、サタンは、この私たちの「正しい自覚」を悪用し、私たちを唆します。

▽「お前はもう神に見放された。神はそんなお前を赦すはずがない。もうお前は救われる望みがない」と。ルターもこのことで苦しんだと言われます。

▽サタンの目的は、私たちに罪を犯させるよりも、十字架に示された神の愛や赦しを疑わせ、神から離れさせることです。(エバを唆したサタン)。

 

弁護者イエス

▽神に背いて身を隠したアダムとエバに、神は「あなたはどこにいるのか」と尋ねます〈創3:9〉。これが罪人である私たちへの変わらない神の態度です。

▽ペトロが三度主を拒んだ時、主は憐れみと赦しの愛の眼差しをもって見つめられました。ペトロはそれが分かったから「外に出て激しく泣いた」〈ルカ22:62〉。

〈2〉。イエスは「全世界の罪を贖ういけにえ」となってくださったからこそ、いつも私たちの弁護者として、神の前に立ってくださっています。〈ヨハ17:16-18〉