「共に苦しむ神」

2016.6.26.       礼 拝

 

創世記 39:19-22(P69)     「共に苦しむ神」

 

無実の罪で 〈39章〉

▽無実の罪で投獄されたヨセフと神は共におられました〈21、23〉。神は理屈に合わない苦しみを彼から取り除くのではなく、彼の苦しみの中に共におられました。

▽神の愛は、理屈に合わない苦しみを取り除くことではなく、苦しむ者といつも共におられ、共に苦しむことによって示されるのです。神は共に苦しまれる神です。

▽主イエスの十字架の前夜、ゲッセマネで苦しみ悶える御姿こそが、苦しむ神の愛の真実の姿です〈マル14:34-36〉。人のために苦しまれる神はキリスト教だけです。

 

神の摂理 〈39章〉

▽無実の罪で獄中にいたヨセフに対し、ポティファルと同じように、監守長もヨセフを信頼し、すべての囚人の世話をヨセフの手にまかせました〈21、22〉。しかし、

▽ヨセフがどんなに忠実に仕えても、彼の容疑が晴れるという保証はありません。そんな中で、王に対し大きい影響力をもつ給仕役と料理役が投獄されます〈40:3〉。

▽これは、人知を越えた神の摂理によることです。ある夜、二人がそれぞれ意味のある夢を見、ヨセフは「解き明かしは神のなさること」と言い、夢を解きます〈5-19〉。

 

信仰に伴う行い 〈40章〉

▽ヨセフは、夢の解き明かしが現実になったら、王にとりなし、自分の濡れ衣をはらしてほしいと二人に頼みました〈14〉。彼は自分のできる限りの努力をしたのです。

▽神の摂理に身をゆだねるということは、何もしないで、ただじっと待つことではありません。自分のできる限りのことをし、後は全能の神にゆだねることです。

▽給仕役がヨセフとの約束を忘れたため〈40:23〉、更に2年待たされます〈41:1〉。この間ヨセフは積極的信仰によって、神の時を待ったのです〈箴16:3-4〉。