「とりなし手となる」

2016.10.9.       礼 拝

 

ヨブ記 42:1-9(p832)       「とりなし手となる」 

 

主はヨブの祈りを受け入れられた…友人たちのために祈ったとき〈9-10〉

 

ヨブの苦しみ

神様の許しにより、ヨブは苦しみの中に置かれました〈1:12〉〈2:6〉。ヨブは神様を呪いません。3人の友は、隠れた罪のために災いが起こったのだ…とヨブに悔い改めるように何度も話します。ヨブの苦しみは増加します。

この時代にも【原因≠結果】という人間の考えの限界があります。

 

とりなし手を求める

友人に裁かれ、ヨブは「誰かが私の正しさを証言してくれたら…」と願います。自分の周りに味方が居ない状況は、息が詰まり苦しいものです。同じ状況ならば、私たちもきっと求めるでしょう。自分の子ども達の罪のためにとりなしていた〈1:5〉ヨブのためにとりなしてくれる人はいませんでした。

ヨブは誰にも頼れず、ただ自分の潔白を神様に向って主張しました。

 

ヨブとりなし手となる

神様の言葉によって誤りを自覚し悔い改めたヨブ〈6〉は、自分を苦しめた3人の友のためにとりなし祈ります〈9〉。ヨブはどうして祈れたのか?

エリファズは神様から、いけにえを捧げるように告げられ、すぐに実行します〈9〉。神様に赦されたヨブは悔い改め、敵対した友をとりなす者として用いられました。

ヨブは3人の友をとりなせるように変えられました。

 

お祈り 天に居ます父なる神様、御名を崇めます!悔い改めによって、とりなす者となり用いられたヨブでした。私たちも神様の赦しによって変えられ、人をとりなす人となれますように。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン