「いけにえと憐れみ」

2013.9.15.           礼  拝

 

ローマ14:1-3(P294)               「いけにえと憐れみ」

 

 「信仰の弱い人を受け入れなさい。その考えを批判してはなりません。」〈1〉

 

 ローマ教会で食べ物のことで対立があったように、私たちの教会でも、考え方ややり方に違いがあり、もめ事が起こります。それは「正しくあること」が、他の兄弟を見る規準となり、「憐れみの心」を忘れてしまうからです〈2,3〉。イエスが「私が求めるのは憐れみであって、いけにえではない。とはどういう意味か、行って学びなさい。」〈マタイ9:13〉と言われたことに心を留めましょう。

 「正しくあること」が規準となると、「いけにえ」が神に受け入れられるかどうかが気になり、それができない人を裁きます〈4〉。カインは、弟のいけにえが主に受け入れられたことを怒り、弟を殺したこと〈創世記4:1-12〉は、その例でしょう。ザアカイは、イエスに招かれ、罪を悔い改め、イエスの「憐れみ」を見習って「正しくあること」以上の償いをし、貧しい人に施しをする者と変えられました〈ルカ19:1-10〉。「キリストに似た者にされること」によって、「憐れみ」の心をもって、周りの人に接することができる者と変えられます。

 パウロは、「キリストはその兄弟のために死んでくださった。」を規準に人を見ました。イエスは「食べ物のことで兄弟を滅ぼ」さないでと訴えています〈15〉。

 

〔お祈り〕

 父なる神様の御名を崇めます。僕が罪赦された罪人であることを自覚し、自分の「正しくあること」の規準で人を裁き、信仰の弱い人を躓かせることがないように守ってください。イエス様の御名で祈ります。 アーメン