礼拝のお話し

2018.4.22.       礼 拝

 

マルコ12:13-17(P86)       「神のかたち(像)」

 

神の像として創造された人 〈創1:26-28。2:7〉

▽「神言い給いけるは、我らに象(かたど)りて、我らの像(かたち)の如く我ら人を造り」〈創1:26(文語)〉。「神が仰った、われわれの姿に、われわれの像として、われわれは人を造ろう」。

▽神が人を神の像(ぞう)として造られたのは、人がご自身の存在をこの地に示すものとして造られたということ。つまり、私たちは神の存在を世に現す「像」なのです。

▽人は、他の動物とは区別されて、「鼻に命の息を吹き入れられて、人として生きる者」となりました。だから「心を尽くし、命を尽くし、力を尽して、神を愛し」礼拝します〈申6、マル12〉。

 

神のものは神に 〈マル12:13-14〉

▽〈14〉イエスはファリサイ派の人々の悪意に満ちた質問に対し、〈15〉デナリオン銀貨を見せ、〈16〉「だれの肖像か」と聞くと彼らは「皇帝だ」と答えました。

▽〈17〉この有名なイエスの言葉は、「神の像」の意味を正しく理解させます。「神のもの」とは、「神の像に刻まれたもの」のことで、人のことを示しています。

▽〈17〉は、「神の像として造られた人は、神のものだから、自分自身を神に返して神の栄光を現す者として生活しなさい」ということです。〈Ⅰコリ6:19-20〉

 

救いとは「神の像」に生きること 

▽人(アダムとエバ)は、「神の像」として造られたのに、神に背いて罪を犯し、「神の像」を壊してしまい、神を避け、神から隠れ、交わりが途絶えました〈創3〉。

▽しかし、神は人類を見捨てることなく、愛する御子を人として地上に遣わし、「十字架と復活」によって、罪を贖ってくださり、「神の像」を回復してくださったのです。

聖書はそれを「罪(死)からの救い」といい、もう一度「神の像」を回復されるため、神は今も聖霊によって働きを続けてくださっています。〈Ⅱコリ3:18〉

2018.4.15.       礼 拝

 

マラキ書3:7-12(P1500)       「主の愛に応える」

 

イスラエルの民たちは、主の命令に従わないで歩み続けていました。それでもなお主は「立ち帰れ」〈7〉と招き、愛を与え続けておられるのです。

 

1.主は罪を示してくださる 〈7-9〉

彼らは、主から招かれる必要性を全く認識していませんでした。私は大丈夫だと思い込んでいたのです。しかし、主は「十分の一の献げ物と献納物を偽っていた」罪を示されました。私たちも私は大丈夫だと応答している時はないでしょうか。主は罪を示し、悔い改めて神の前に出てくることができるようにと招いておられるのです。

 

2.主はチャレンジを与えてくださる 〈10

聖書には「あなたたちの神、主を試してはならない。」〈申6:16〉と定められていますが、主ご自身が「わたしを試してみよ」と言われたのです。この時、イスラエルは不作に苦しんでおり、その中で主に従うのは難しいことでした。しかし主は、主に信頼する一歩を待っておられるのです。

 

3.主は祝福を注ぎ続けてくださる 〈10-12〉

主の愛に応え、全てを委ねて進んで行く時、確かに主は天の窓を開いて祝福を注いでくださいます。また、その祝福は限りがないものです。日々の歩みの中で、恐れや不安を持つことがあります。ですが、そんな時にこそあなたに向けられている主の愛に信頼する者となりたいのです。その行動こそ主の愛に応える行動なのです。

 

今日も私たちは主の変わらない愛を受けています。信仰を持ってその愛に応える者となりましょう。

2018.4.8.       聖餐式礼拝

 

イザヤ46:3-4(P1137)       「イエスを負う」

 

イエスはどこに?

▽神戸淡路大震災や東日本大震災の時、「イエスはどこにおられたのか」、「イエスは何をしておられたのか」と、考えさせられるほど辛い出来事でした。しかし、

▽「あれは神の裁きである」と言って、災害ですべてを失い、身も心も傷ついている被災地の人々の傷口を広げるようなクリスチャンがいたことに驚かされました。

▽イエスは天から地を見下し、ただ眺めておられるような方ではありません。愛する家族や家財を無くして、悲嘆に暮れる人々と共に涙を流しておられたはずです。

 

イエスを負う

▽「イエスは涙を流された」〈ヨハ11:35〉。聖書中一番短い御言葉です。イエスは愛する兄弟ラザロを失った姉妹の悲しみを共感し、断腸の思いをされました〈同33〉。

▽被災地の牧師やクリスチャンは「今は伝道する時ではない。目の前の人々のために働くことだ」と、被災地にある教会として協力し、立ち上ったのです。

▽被災地の方々は、クリスチャンたちを「キリストさん」と呼ぶようになりました。ある牧師へのおばあさんのことば「いいんだよ。あんたらキリストさん背負ってっから」。

 

十字架を負われたイエス 〈イザ46:3-4〉

▽私たちが「自分の十字架を負って」イエスに従う前に、イエスは私たち一人一人を背負ってくださった。(フット・プリント)。主はいつまでも変わることはありません。

▽神を見ることはできませんが、その御手がどれほど温かいか、どれほど力強いか、それを体験させてくださるのがイエスです。(イザ46:3-4)

 

「十字架を負う」とは、私たちの罪、即ち、私たち自身を負うということです。そのために神の御子は人となられ、いつも共にいてくださいます。(フィリ4:5-7)

2018.4.1.       イースター礼拝

 

ローマ5:6-8(P279)       「示されている愛」

 

しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました〈8〉

 

イースターは復活の日

イースターとは、救い主であるイエス・キリストが十字架へ掛かられ、三日目によみがえられた日です。教会ではこの日を記念して祝います。よみがえったのが自分と関係の無い知らない人ならば祝いません。そうではなく、イエス様は私たちにとって大切な方なので一緒に祝うことができるのです。

 

神様の愛の計画

イエス様は神様の子どもです。自分の子どもを殺すことを人は喜びません。しかし、神様は大切な計画のためにイエス様を生まれさせ、十字架に掛けられ、よみがえらせたのです。この計画は、世界のすべての人を救うという、長期間に及ぶ、とても大きな事でした。それだけ難しい計画だったのです。

 

愛は示された

どうして、イエス様が十字架で死ななければならなかったのか?それは、私たち人間を救う唯一の方法だからです。イエス様の十字架は、神様の愛を示すものです。自分の子どもであるイエス様の命を惜しまずに、それ程に、神様は私たちを愛して下さっていることが表わされているのです。

 

お祈り 父なる神様を賛美します!これからイースターを迎える度に、神様の愛を感じることができますように。イエス様の十字架の痛みは私の救いのため、私は復活を一緒に喜びます。イエス様のお名前で祈ります。アーメン

2018.3.25.       礼 拝

 

ヨハネ5:1-18(P171)       「癒してくださるイエス」

 

本日は中央聖書神学校の学生がキャラバンで来られ、礼拝の中で証しとスペシャル賛美、メッセージのご奉仕をしてくださいます。感謝!

 

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