2018年 7月 1日

「わたしたちは羊の群れ、道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて、主は彼に負わせられた」(イザヤ書53章6節)

 

精神科医であり、大学の教授である香山リカさんは「最近の若い人たちは、非常に生きるのがしんどい、生きづらい、生きるのが困難だという人たちが多数いる」と言っておられる。

真の神を知らず、また知ろうともしない人々は、自分がどこからきて、どこへ行くかも知らないまま、一度きりの人生を「それぞれの方角に向かって」過ごし、そして死んでいく。

聖書は私たち人間を羊にたとえて教えています。それは、羊の習性と私たちのそれに共通点があるからでしょう。ヨハネによる福音書10章でイエス様も私たち人間を羊に、ご自身を「良い羊飼い」にたとえて、真理を語っておられます(1~18節参照)。

12節では、この世の指導者たちは、私たち「羊のことを心にかけていない」ので、羊が迷って、死への道へと歩んでいても助けてはくれないと語っておられる。確かに、真の神を信じない人の人生は「人間の前途がまっすぐなようでも、果ては死への道となることがある」(箴言14・12、16・25)とあるとおりです。

イエス様は、ここで「良い羊飼い」として三回も「わたしは羊のために命を捨てる」と宣言されています(11、15、18)。私たちが真の神に対し背信の罪を犯し、正しい道からそれて死に至る道を歩んでいるので、その罪を贖い、神の国に入ることができるように、一人ひとりの身代わりとなって、十字架に命を捨ててくださったのです。

2018.7.1.       伝 道 礼 拝

 

ローマ書10:8-13(P288)       「だれでも救われる」

 

今の時代だけでなく、遠い昔から多くの人たちが救いを探し求めています。では、「誰が」「どのようにしたら」救われるのでしょうか。

 

1.救いは私たちの近くにある 〈8〉

救いはなかなか見つからないものと考えてはいないでしょうか。「灯台もと暗し」ということわざもありますが、意外にも私たちの近くにあったのです。いつも私たちが聞いているみことばの中にあるのです。救いは決して遠いものではなく、いつも私たちの近くにあるものなのです。

 

2.救いはイエスにある 〈9〉

イエス・キリストは、私たちの力では解決できない罪と死の問題を完全に解決してくださいました。それは、十字架の死と復活によってです。この救いは、一時的なものではありません。永遠に続く救いがここにあるのです。イエス・キリストこそが救いのカギなのです。

 

3.救いはすべての人に与えられる 〈12-13〉

私たちは、「こんな私なんか」と救いに条件を付けてしまうことがあります。しかし、救いはすべての人に与えられているのです。そこには条件はありません。『御自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになる』のです。あなたもこの中に入れられています。

 

「主の名を呼び求めるものはだれでも救われる」〈13〉。この救いは、あなたの近くにあります。今日、あなたもイエス・キリストを私の救い主であると受け入れてみませんか。

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