- 8日(日) 10:00~ ジョイフルクラス(日曜学校) 11:00~ ウェルカム礼拝 役員会(礼拝の動画配信・CD郵送・レジュメ送付は引き続き行います)
- 5日(水) 13:30~ 19:30~ 祈祷会
2020年 7月
2020.7.26. ウェルカム礼拝
出エジプト3:4-6(P96) 「モーセよ、モーセよ」
モーセよ、モーセよ
▽ミディアンの地で、羊飼いとして普通の生活を習慣的に過ごしていたモーセに向って、神は「モーセよ、モーセよ」と呼びかけられた。
▽これは、大勢の人々の中に紛れ込んで生活しているモーセに対し、一個人の人間として、神の前に立つことを求められた神の召しの呼びかけです。
それには、「はい」と答えるか「いいえ」と答えるか、どちらか一つの道しかない。神の前では逃げ隠れはできない。ここに信仰の戦いがある。
私か、私たちか 「自分の言いたいこと」なのに「皆んなが言っている」
▽私たちは、「私」と「私たち」を混同していないか。一個人として責任のある「私」ではなく、「私たち」の中に逃げ込んでいるのでは?
▽昔とは違い、今は個人の自由と権利が尊重されているが、それに伴うはずの義務と責任とが忘れられているのではないか。
大勢の中に紛れ込んでいる方がトラブルも少なく安全である。しかし、神はあなたを「一人の人間」として「あなたを選び、御自分の宝の民とされた」〈申7:6〉。
日々、自分の十字架を負うて
▽イエスは「自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい」と〈マタ16:24〉。「自分の十字架」とは、「神があなたに委ねられている奉仕と責任」です。
▽十字架を負うとは、主のみことばに対し「はい」と答えて生きることです。聖書の言葉を「私」に語りかけられた神の言葉として聴き従うことです。
その神の言葉に聴き従うことのできない自分の弱さ、足りなさを自覚し、「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください」〈イザ6:8〉と立ち上がりましょう!
- 26日(日) 10:00~ ジョイフルクラス(日曜学校) 11:00~ 礼拝 JFC教師会(礼拝の動画配信・CD郵送・レジュメ送付は引き続き行います)
- 29日(水) 13:30~ 19:30~ 祈祷会
- 19日(日) 10:00~ ジョイフルクラス(日曜学校) 11:00~ 礼拝(動画配信・CD郵送・レジュメ送付は引き続き行います)
- 22日(水) 13:30~ 19:30~ 祈祷会
2020.7.12. 礼 拝
Ⅰヨハネ1:5-10(P441) 「光の中を歩む」
光の中を歩む
▽〈7〉私たちが神の光の中を「光の子」として歩むためには、闇の中から出る(罪を解決すること)が必要です。イエスはそのために命を捨ててくださった。
▽罪を犯したアダムとエバは、神から身を隠しました〈創3:8〉。それが罪人である人間の共通の態度です。神は「あなたはどこにいるのか」と問う〈創3:9〉。
▽たとえ刑法にふれる罪を犯さなくても、神の臨在にふれると、ペトロのように「主よ、私から離れてください。私は罪深い者です」と叫ぶ〈ルカ5:8〉。
イエスの血の力
▽私たちが自分で払うことのできない罪の代価を、父なる神は、私たちに代わって、御子イエスが十字架の上で払うようにしてくださった。
▽御子イエスによって、罪を完全に処理していただいた私たちは、父なる神との交わりが回復され、今は光の中を歩む者とされている〈7〉。
▽イエスが再臨なさる時、私たちは「栄光から栄光へと、主と同じ姿に造り変えられ」〈Ⅱコリ3:18〉、光輝く神の御国に入ることが赦される〈2:28〉。
罪との格闘
▽罪が赦されたとは言え、私たちはまだ完全な者とはなっていません〈8〉。私たちは、二度と罪を犯さないことはなく、失敗もし、罪を犯しもします。
▽そんな時、「自分は救われないのでは?」と不安になる。しかし、一旦、神の子とされたのだから、罪を悔い改めると、神の子であることに変わりはない。
「義認」と「聖化」とは別です。義認は一度ですが、聖化は聖霊によって、徐々になされていくことを自覚しましょう。〈3:2-3〉