聖書のメッセージ

2018.7.22.       礼 拝   

 

サムエル記上1:9-20(P428)       「涙の祈り」

 

私たちの人生の中で「なぜ」「どうして」と思うことが起きる時があります。そんな時、ハンナは激しく泣いただけではなく、主に祈りました。主はどのように働いてくださったのでしょうか。

 

1.主は私たちの祈りを聞いてくださる 〈10-12〉

ハンナの祈りは、嘆きに満ちた祈りでした。この時の彼女はそれしか祈ることができなかったのです。しかし、主はそんな祈りでも聞いてくださいます。私たちの今の状況に合わせてくださるのです。正直に今の思いを主の前に打ち明ける者となりましょう。

 

2.主は祈りの中で私たちを変えてくださる 〈18〉

祈りの前後でハンナの様子は大きく変わっています。それは、主が祈りの中で励ましを与えてくださったからです。そして、主がおっしゃったことは必ず実現すると信じることができたのです〈ルカ1:45〉。主は私たちにも祈りの中で励ましを与えてくださいます。

 

3.主は私たちの祈りに応えてくださる 〈19-20〉

ハンナは忘れることなく〈11〉と願い求めましたが、主がハンナの祈りを忘れたことはありませんでした。祈りに応えて男の子(サムエル)を与えてくださったのです。それは、良い贈り物でした。主に不可能なことは何一つありません。このお方に全てを委ねる者となりましょう。

 

今日も主に祈る者となりましょう。その時、主は良い贈り物を与えてくださいます。主が与えてくださる希望と喜びの中で受け取る者となりましょう。

2018.7.15.       礼 拝   

 

Ⅱコリント5:11-21(P330)       「和解のために」

 

キリストによって…和解のための言葉を私たちに委ねられたのです〈19〉

 

駆り立てる愛

パウロは、救われた人には、神様からの使命があると言います〈18〉。そして、キリストの愛が、この和解の働きのために、自らを駆り立てていると説明しました〈14〉。駆り立てられる=突き動かされる。これほどの思いと自覚が私たちにあるでしょうか?

和解はパウロだけが受けたものではありません。私たちも受けています。彼だけが行う使命ではありません。

 

和解のために

人生の中で、和解を体験したことがあるでしょうか?能動的な性格(揉め事を好まずに我慢する)の方は体験がないかも知れません。しかし、本質を見れば、誰でも自分の大切にしている想いを押し込め続けて生きることはできません。パウロが語る理由は、それほどの強い想いが関わっているということです〈15〉。

パウロは神様の憐れみによって、和解を体験しました。

 

神様の愛

キリストにあって、新しく創造された私たちは古いものから新たにされました〈17〉。神様は、罪のないイエス様と罪のある私たちと取り替えてくださったのです〈21〉。

パウロは言います「神と和解させていただきなさい」

 

お祈り 父なる神様、御名を崇めます!イエス様によって、新しくされたことを感謝します。和解を勧める奉仕を実行することができるように。私たちを助けてください。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン

2018.7.8.       聖餐式礼拝

 

マルコ15:25-39(P95)       「見捨てられたイエス」

 

イエスは見捨てられた 

▽〈33〉真昼の3時間の暗闇は、神の怒りのしるし〈出エ10:22〉と、〈34〉父が御子を見捨てられたことを示す。これは〈イザヤ60:2〉の預言の成就。

▽〈34〉のイエスの叫びは〈詩22:2〉の成就。「父よ」ではなく「わが神」と祈られたのは、父なる神との断絶の苦悩。

イエスが「アッバ、父よ」ではなく「我が神」と祈られたのは、イエスが奪われた神の子の特権が、私たちに与えられ、「アッバ、父よ」と祈ることができるため。

 

新しい命の道が開かれた

▽イエスは、ともに十字架につき、悔い改めた犯罪人に「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」〈ルカ23:43〉と、新しい命に生きると約束された。

▽旧約時代は、一年に一度、大祭司が民の贖罪のため、至聖所に入ることが赦されてた〈レビ16〉。イエスは十字架でこれを完全に全うされた。

「イエスは、垂れ幕、つまり、御自分の肉を通って、新しい生きた道を私たちのために開いてくださった」〈ヘブ10:20〉。故に「大胆に主の恵みの座に近づ」けます〈同4:16〉。

 

本当に神の子であるイエス

▽〈27-30〉祭司長はじめ、ともに十字架につけられた犯罪人までイエスをののしった。

▽〈39〉しかし、ローマの百人隊長は「本当に、この人は神の子であった」と告白。「私たちが救われるべき名は」イエス以外にはだれもいません〈使4:12〉。

マルコは「神の子イエス・キリストの福音」と書き始め、最後は、この百人隊長の信仰告白で結んでいる。

「わたしたちは羊の群れ、道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて、主は彼に負わせられた」(イザヤ書53章6節)

 

精神科医であり、大学の教授である香山リカさんは「最近の若い人たちは、非常に生きるのがしんどい、生きづらい、生きるのが困難だという人たちが多数いる」と言っておられる。

真の神を知らず、また知ろうともしない人々は、自分がどこからきて、どこへ行くかも知らないまま、一度きりの人生を「それぞれの方角に向かって」過ごし、そして死んでいく。

聖書は私たち人間を羊にたとえて教えています。それは、羊の習性と私たちのそれに共通点があるからでしょう。ヨハネによる福音書10章でイエス様も私たち人間を羊に、ご自身を「良い羊飼い」にたとえて、真理を語っておられます(1~18節参照)。

12節では、この世の指導者たちは、私たち「羊のことを心にかけていない」ので、羊が迷って、死への道へと歩んでいても助けてはくれないと語っておられる。確かに、真の神を信じない人の人生は「人間の前途がまっすぐなようでも、果ては死への道となることがある」(箴言14・12、16・25)とあるとおりです。

イエス様は、ここで「良い羊飼い」として三回も「わたしは羊のために命を捨てる」と宣言されています(11、15、18)。私たちが真の神に対し背信の罪を犯し、正しい道からそれて死に至る道を歩んでいるので、その罪を贖い、神の国に入ることができるように、一人ひとりの身代わりとなって、十字架に命を捨ててくださったのです。

2018.7.1.       伝 道 礼 拝

 

ローマ書10:8-13(P288)       「だれでも救われる」

 

今の時代だけでなく、遠い昔から多くの人たちが救いを探し求めています。では、「誰が」「どのようにしたら」救われるのでしょうか。

 

1.救いは私たちの近くにある 〈8〉

救いはなかなか見つからないものと考えてはいないでしょうか。「灯台もと暗し」ということわざもありますが、意外にも私たちの近くにあったのです。いつも私たちが聞いているみことばの中にあるのです。救いは決して遠いものではなく、いつも私たちの近くにあるものなのです。

 

2.救いはイエスにある 〈9〉

イエス・キリストは、私たちの力では解決できない罪と死の問題を完全に解決してくださいました。それは、十字架の死と復活によってです。この救いは、一時的なものではありません。永遠に続く救いがここにあるのです。イエス・キリストこそが救いのカギなのです。

 

3.救いはすべての人に与えられる 〈12-13〉

私たちは、「こんな私なんか」と救いに条件を付けてしまうことがあります。しかし、救いはすべての人に与えられているのです。そこには条件はありません。『御自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになる』のです。あなたもこの中に入れられています。

 

「主の名を呼び求めるものはだれでも救われる」〈13〉。この救いは、あなたの近くにあります。今日、あなたもイエス・キリストを私の救い主であると受け入れてみませんか。

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