聖書のメッセージ

2018.9.23.       礼 拝   

 

サムエル記上3:1‐18(P432)       「主よ、お話しください」

 

「そのころ、主の言葉が臨むことは少なく、幻が示されることもまれであった。」〈1〉と言われる時代にあって、主は少年サムエルに働かれました。また、サムエルに働かれた主は私たちにも働かれるのです。

 

1.主は呼びかけられる

主が呼びかけられたのは、サムエルでした。常識から考えると、祭司エリを呼ばれるのが自然です。ですが、年齢や立場を見るのではなく、忠実に主に仕えている姿を主は見ておられたのです。彼はいつも主に心を向けていました。私たちもいつも主に心を向け、その呼びかけに気づく者となりましょう。

 

2.主の言葉を聞く

サムエルは自分の名前を呼ぶ声が主の声であるとは分かりませんでした。そんなサムエルにエリは「主よ、お話しください。僕は聞いております。」〈9〉と言うように助言しました。私たちはいつも主の言葉を聞くことができているでしょうか。願いを言うばかりになっていないでしょうか。何よりもまず主の言葉を聞く者となりましょう。

 

3.主の言葉を聞き、行動する

主はサムエルに言葉を与えてくださいましたが、その内容は厳しいものでした。そして、そのことをエリに伝えるのを恐れました〈15〉。私たちが主の言葉を聞き、行動することは難しいことがあります。ですが、、その言葉は確かに主から与えられたものなのです。サムエルのように、ただ聞くだけではなく、一歩踏み出して行動する者となりましょう。

 

「主よ、お話しください。僕は聞いております。」日々の生活の中で、主の言葉に耳を傾けていきましょう。サムエルのように祈り、主に応える者となりましょう。

2018.9.16.       礼 拝   

 

ルカ2:25‐38(P103)       「恵まれた老人」

 

シメオン 〈25-35〉

▽〈25〉。シメオンは 正しく信仰のあつい人。メシアが来られるのを待ち望んでいた人。聖霊が内住していた人。

聖霊に導かれていた 〈26〉 〈27〉 〈28〉

たくさんの人々が出入りする境内で、メシアに出会ったこと。また一目でメシアと見分けられたことは、聖霊による。

 

賛美と預言 賛美〈28-29〉。

〈30-32〉は、〈イザヤ42:7〉と〈52:10〉の預言の成就。

預言〈34〉は、イエスの生涯。〈35〉は、母マリアの心痛。

 

アンナ 〈36-38〉

▽〈36〉アンナは 女預言。 アシェル族の出身。

〈37〉84歳の高齢。 〈37〉神殿を離れず、断食と祈りをもって、日夜、主に仕えていた。

主を証しする人  〈38〉主を賛美し、人々に主を証しした。

 

▽この二人は、高齢になるまでメシアを待ち望んでいた。その期待は答えられ、たった一度の出会いで、死んでも悔いのない満足と喜びを体験。

 

私たちは、年を取ると、つい老化のことや病気のことで弱音を吐きますが、シメオンやアンナのように、主の再臨の時、お目にかかれるよう期待して生きよう。

2018.9.9.       礼 拝   

 

ヨハネ12:1‐8(P191)       「心に起こるもの」

 

自分の髪の毛でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった〈3〉。

 

ナルドの香油

イエス様が過越祭の前に、ベタニヤへ行かれた時、親しくしていた姉弟たちの家へ行きました〈1〉。ナルドの香油は、とても高価で、一生に一度使うか使わないかという香油でした。この日、香油の香りが家の全体に広がりました。 

マリアはイエス様のために、自分にできる最高の事を行いました。

 

香りで満たされた時

香りは一瞬で空間に広がります。ある香りによって思い出がよみがえる体験がありますか。マリアが香油を使ったこの瞬間、その場にいた人々の心には様々な思いが起こりました。「なぜ、これを売って、貧しい人に施さなかったのか」ユダは言います〈4〉。「そのままにさせておきなさい」とイエス様は言われます〈7〉。

マリアの献身とは別の思いがその場に存在した。

 

イエス様に心から捧げる

同じ光景を見て体験をした時、私たち人の心にはそれぞれに様々な思いが起こります。ある人には「良いこと」、別の人には「嫌なこと」。マリアはイエス様に尽す献身の思いをもって行動し〈3〉、イエス様はこれを「良いモノ」〈7〉として受けてくださいました。

香油は一滴も残りませんでした。

 

お祈り 天にいます父なる神様、御名を崇めます!私たちの行動の源が、自分中心・利益中心ではなく、神様にお捧げするモノであるように。正しき思いを起こさせてください。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン

2018.9.2.       伝 道 礼 拝   

 

ヨハネ6:16‐21(P174)       「わたしだ。恐れることはない。」

 

私たちの人生は時として嵐の中にいるように感じる時があります。何とか乗り越えようと努力をしますが、最終的には疲れきってしまいます。そんな時、私たちはイエス・キリストの声に耳を傾けたいのです。

 

1.イエス様は近づいてきてくださる 〈19〉

弟子たちは嵐の中でもがき苦しんでいました。助けを求めることができずにいたのです。問題が起こると私たちは問題ばかりを見てしまいます。しかし、イエス様はそんな彼らに近づいてきてくださり、助けを与えてくださるのです。

 

2.イエス様は声をかけてくださる 〈20〉

イエス様が近づいてきた時、彼らは恐れました。奇跡を見てきたにも関わらずあり得ないと考えてしまったのです。イエス様はそんな彼らを叱るのではなく「わたしだ。恐れることはない。」と声をかけてくださいました。私たちがどんな状況の中にいてもイエス様はやさしく声をかけてくださいます。

 

3.イエス様は解決を与えてくださる 〈21〉

弟子たちがイエス様を舟に迎え入れようとした時、舟は目指す地に着くことができました。イエス様を迎え入れる時、問題は解決されるのです。私たちが抱えている大きな問題は「罪」という問題です。この問題もイエス様は十字架によって解決してくださいました。問題解決の道はただイエス様のもとにあります。

 

イエス様は今日もあなたに声をかけてくださいます。この声に応答し、主イエス・キリストを心の内に迎え入れてみませんか。

イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」(マルコによる福音書 8章33節)

 

イエス様がユダヤの宗教家や指導者たちに、「排斥されて殺され、三日の後に復活する」と弟子たちにはっきりと語られた時、「ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始め」ました。するとイエス様はペトロを叱り、初めに引用したみことばを語られたのです。

なぜでしょうか。唯一まことの神様に似せて造られたその神様の愛に背き神様と同じようになろうとした私たちを救わなければならない義務など神様にはどこにもないのです。

しかし、神様はそんな私たちをも愛し、その背信の罪を贖い救うために、御子イエス様を人としてこの世に遣わしてくださいました。つまり、イエス様が十字架で罪の代価として命を捨ててくださることが父なる神様の御心であるということです。

だからペトロが主イエス様のことを心配して、ご自分の十字架の死を予告されたことをとめようとしたことを拒まれたのです。

神様は、罪の代価を払うことのできない無力な私たちに代わって、その代価を払ってくださいました。それが十字架です。十字架こそが神様の愛と犠牲のシンボルなのです。死ぬことのない神の御子が十字架に死なれることによって、私たち一人ひとりを神様のものとしてくださいました。「私たちがまだ罪人であった時、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対する愛を示されました。」(ロマ5・8)

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